宮本しづえのかけ歩き

あかるくあたたかい県政へ

21日から23日まで土木委員会で函館、奥尻島津波被害調査

 土木委員会の県外調査、今回は19年前に津波被害を受けた、北海道の奥尻島を視察。

 新幹線で青森まで行き、電車で津軽海峡を渡りました。北海道は、新幹線整備事業の真っ只中。新幹線が開通したら、函館のフェリーは相当減るのではないかと思います。

 一日目は、函館港の視察。観光と組み合わせた港の開発は、金森倉庫の活用と一体でこそ成り立つ事業、観光客が沢山いたのは羨ましい限り。

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この人口の島は、8haありますが港周辺整備で出た土砂の処分場として埋めた地られたもの。公園になっています。

 2日目は、飛行機で奥尻島へ。19年前の津波被害の大きさと、今回の東日本大震災の被害が重なり、198人の犠牲者に黙とう。

 青苗地区には、6メートルの人口地盤が作られ、海から直ちに高台に避難できるようになっています。1メートルの地盤沈下があったとのことですが、地域全体を6メートルかさ上げして住宅を再建していました。また、高台への避難路が何本も整備されていて、一本は屋根つきの避難路も。

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写真上は、人工地盤について説明する町議会事務局長、中は人工地盤を下から見上げる、下は屋根のある避難路 

復旧の取り組みは早く、7月に被災したその月から仮設住宅建設が始まり入居できたというから驚きです。被災公営住宅の建設も、道と町が同時に開始し、約90戸を直ちに作って入居可能にしたことなど、東日本大震災とは比べ物にならないスピード感を感じる。

 その復興の大きな支えとなったのが、全国からの190億円の義援金。国の住宅復旧の支援制度がまだない中で、全壊家屋の建て替えには、様々合計すると支援は1280万円に上るというから、いかに大きな支援があったか窺い知ることができます。これだけの支援があって、高台移転も比較的スムースに実施できたのではないかと感じます。

 防潮堤は、津波の高さを基準に築堤されており、高い所で11メートル、全く海は見えない状態でした。

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 津波被害状況を伝える津波館を見学。職員が熱弁をふるって説明してくれました。

 役場に行った時も、町職員が語り部のボランティアをしていて、私たちにも1時間ほど話してくれた。こういう職員がいるのは頼もしい。青苗地区に住んでいた方で、防災無線で避難を呼びかけた本人。放送設備が思うように機能せず時間がかかってしまい、実際に放送できたのは、地震発生から5分後。早い津波は3分で到達したので、海に流されながら放送を聞いた人もいたとのこと。

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津波館の上にある慰霊碑

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