2日は一日がかりで会津の避難者や自治体と懇談。猪苗代から先は吹雪で、雪のない浜通りからの避難者にとっては辛く長い4年目の冬をどんな思いで過ごしているかと考えながら現地に向かいました。
大熊町が避難する長原仮設では、70世帯の中で7人の方が参加していただき、忌憚のない意見帆聞かせてもらうことができました。
自治会長さんからは冒頭4年も過ぎてから來るのは遅すぎると苦言も。その通りなのです。参加された中には、津波ですべてを流され、身内を失った方もおられます。津波で何もなくなった人には、財物賠償はありません。別の方からは、これまで東電のために協力してきたのに、家がなければ賠償しないというのはあまりにも冷たい。せめて7割程度の保障ができないものかとの意見も出されました。中間貯蔵施設の地権者という方もおられ、国のやり方は地権者の声を聴く耳を持っていないと痛烈に批判していました。
復興住宅に入れと言われても、あの家賃を見て入居を断念したという人も。当面は家賃は賠償で請求できるというが、いつまで続くのか分からず、絶えずびくびくしながら生活するのは嫌だと思い、新たに土地を求めて家を作っている。追加賠償があったので可能だったとのこと。
家がない人はそれすらできずどうしたらいいか見当もつけられない状況に置かれています。被災者一人一人異なる状況を抱えており、本当に寄り沿う姿勢が求められていると感じます。
その点で避難者が口をそろえて話していたのは、イノベーション構想が、自分たちのための復興計画ではないと感じているということです。東電のための除染であり、施設づくりなのにいかにも住民のためと言わされる町も気の毒だ、正直に言えばいいとすら述べていたのが印象的でした。
午後伺った楢葉町の会津美里町支所長との懇談では、楢葉は4月以降に避難解除の時期を明らかにする方針で、そのための住民懇談会が開かれているとのことです。災害公営住宅を町が独自に32戸建設する計画だが、これで足りるとは思えないとも述べています。自力で再建に踏み出した人も出てきているが、財物賠償は6分の2しか受けておらず、既に4年が経過しているのだから6分の4は支払われなければならないはずだが、東電からは何の連絡もないとのことです。