宮本しづえのかけ歩き

あかるくあたたかい県政へ

生業裁判第20回公判を傍聴。7人の原告本人尋問

 生業裁判の第20回公判が開かれ、原告7人の本人尋問が行われました。私は午後の4人の尋問を傍聴。同じ渡利地区で保育園の園長を務めてきた斉藤さんが、涙ながらに子どもたちとともに放射能と闘ってきた5年半を振り返り、子どもたちの当たり前の生活を奪った原発事故の被害の大きさを告発しました。原告側弁護士が原発事故が子どもたちから奪ったものは何ですかの問いに対し、「自然の中で五感を培う生活体験ができなかったことが、子どもの成長に及ぼす影響は大きい」と述べました。佐倉保育園は裏山に殿上山があり、ここで桜の花見や寝そべっての遊びなど、大自然の中で伸び伸びした保育が出来ていたのに、今はそれが出来なくなっている。原発事故当初は保育園の窓を開けるにも気を遣い、保護者が迎えに来た時に今日は何分窓を開けたかと問い詰められる場面すらあったと語り、丁寧な線量測定に基づき子どもたちの生活の範囲を徐々に拡大してきた経験を涙ながらに訴え傍聴者の涙を誘いました。

 公判終了後文化センターで報告集会。原告尋問に立った3人が報告。相馬市の大内秀夫さんは、東電や国の弁護士の挑戦的な尋問には怒りがわき反撃したと報告。馬奈木弁護士が今後の裁判の予定を報告、年内は10月、11月、来年1月、そして3月で結審の見通しが明らかにされました。第二人の原告を募っています。

 公判と並行して行われていたイベントでは、ラジオ福島の大和田新アナが講演、最後の10分間ほど話を聞くことが出来ました。南相馬市楫浜地区の津波被災者を取材した当時の様子について、原発事故による避難が無ければ助けられた命があったはずだと語り、原発被害の非人間性を告発していました。

講演後の大和田さんと挨拶を交わすと、熊本に言ってきたと、是非見ておいてほしい、山津波ですと話していました。県議会の土木委員会が今月末に行きますと答えるとぜひしっかり見てきてくださいとのことでした。

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