10月10日の生業裁判の意義と今後の取り組みについて意見交換するため、弁護団、原告団と懇談。弁護団からは、国の法的責任を認めた意義について解説。想定外の事故という言い訳は通用しなくなった。国に規制の権限を与えているのは、事業者に万全の安全対策を講じさせることにより国民の生命と安全を守るためであり、この役割を果たさなかった法的責任が断罪されたのが今回の判決であること。国には被害者救済義務が生じる、同時に県も行政機関としての対応が求められることになることを踏まえ、国と県に対応を求めていく必要があることが強調されました。
救済の対象は原告個人に留まらず、精神的賠償で会津を除く中通と浜通りの原告に一人16万円の追加賠償を命じましたが、これは避難の有無にかかわらず、この地域の住民150万人全てが最低でもこれだけの被害があることを認定し賠償を求めたものです。原告以外のすべての県民に適用する普遍性があることが他の判決との大きな違いであり、そのことを県としても認識し、国に賠償指針の見直しを求め、全ての市町村や経済団体が参加する福島県原子力損害対策協議会として国と東電に迫る必要があります。
午後は、避難自治体議員である渡部寛一南相馬市議と、佐藤八郎飯舘村議を招き、復興共同センターと県議団合同で聴き取りと懇談を行いました。両自治体に共通するのは若い世代が帰還しておらず、地域の将来像が描けないこと、生活するために必要な医療や介護施設、将棋用施設等のインフラが未整備のため、車が無い人は生活できないこと、基盤産業である農業の再開に向けた除染や補助事業が組まれているが、実態に合わないため、再建に踏み出す人は僅かにとどまっていると言います。
来年3月で賠償が打ち切られますが、その後の生活不安が大きくても言い出しにくい雰囲気さえあり、表立った話になってこない。それだけ住民同士、家族間の分断が大きいことを示しているのだと言うのです。原発事故がもたらした被害の見えない大きさと複雑さを改めて思い知らされます。とにかく被害が続いていることは事実であり、一律的な打ち切りが許されないことは明らかです。