26日、27日と全町が20キロ圏内の警戒区域で3月に避難区域が再編された富岡町を視察しました。26日は、郡山の仮設にある交流センターに、副長長、総務課長、総務副課長さんはじめ、自治会長、住民の皆さんなどが参加していただき、懇談。
中間貯蔵施設建設をめぐる国の対応には、町も住民も全く納得できないと怒りの声が相次ぎました。中間貯蔵施設ができれば、もう町には帰れないと宣告されるようなものだ、だったらハッキリと帰れないことを住民に伝えるべきなのに、ハッキリ言わない。住民説明会で、環境省の職員が、今までは犬や猫など動物を相手にしてきたので、人間を相手にするのは苦手だとまで言い放ち、住民を呆れさせたとの報告もありました。
賠償基準の余りの低さも、希望が見えない要因に。ご夫婦で参加されたお宅では、100坪の宅地の他に物置などの建て屋が立つ土地と家を合せて、示された賠償額はたったの600万円だけ。これでどうして生活を立て直せと言うのかと正に怒りです。
翌27日、朝から富岡町の現地にむかいました。途中川内村役場に寄ったので、線量測ってみると0.17μシーベルトと福島市よりもずっと低い値で、思ったよりも低いのに安心。しかし、原発から30キロしか離れていないのだから、戻れない気持ちはよくわかります。
富岡町に近づくにつれて線量が上がって行きました。役場の中は避難した当時のまま、弁当箱も、おにぎりのアルミもそのままテーブルに置かれた状態で、避難がどんなに困難を極めたことか想像に余りあります。
津波で避難所となった学習施設学びの森、会議室には、当時のおにぎりのアルミがそのままに。ホワイトボードには、当時死亡が確認された方の名前が書かれていました。天井が雨漏りしたところでは、今でも17μシーベルトの高線量です
総務課長さんのご厚意で、ご自宅の内部を見せていただき驚きました。話には聞いていたものの、直接にネズミや豚のふんが畳にこびりついている様は、とても人間が生活できる状況ではありません。変える気持ちが萎えてしまうのもよく理解できます。
見せていただいたお宅の庭は、6μシーベルトありました。ここは、居住制限区域です。
前日の懇談でも、帰れないのならハッキリして欲しい、早く再建の道筋を示してほしいという苛立ちは当然のことと思いました。
町のあちらこちらに帰還困難区域に指定された立ち入り禁止のバリケードが設置されています。